あいスポ|スポーツ体験ブログ

  • 【第5回:モータースポーツトーク 】 ゲスト:古賀琢麻さん

  • 2015/01/16
  • 今回で最後になるモータースポーツトーク、ラストを飾るのはアメリカのNASCAR(ナスカー)レースで活躍する古賀琢麻選手です。またレーシングドライバーというだけでなくシボレーオフィシャルパーツを製造する会社を経営。日本とアメリカを飛び回りながら、さらなるステージに果敢に挑み続ける古賀選手にとって人生そのものといえる車にまつわるお話を色々伺ってきました。

    【古賀琢麻さんプロフィール】
    生年月日:1977年3月16日(現在37歳)
    出身:愛知県名古屋市
    職業:レーシングドライバー、実業家(シボレーオフィシャルアップグレードパーツを製造する、株式会社アイロック代表)

    ロスアンゼルス市マンハッタンビーチ在住。
    12歳からレーシングカート活動をはじめ、その後フォーミュラ・トヨタに参戦。2000年には単身アメリカに渡り、夢であったナスカシリーズに参戦。参戦初年度はNASCAR Weekly Racing Series に参戦し、シリーズ参戦選手の中でもっともアグレッシブだったドライバーに与えられるハードチャージャーアワードを受賞。2005年度には、NASCARシ リーズGrand National Divisionに日本人で初のフル参戦をし、全米オールスター戦に出場を果たしました。 2007年、2008年はWEST COAST PRO TRUCKSに参戦し、2年連続で年間シリーズランキング3位を獲得。 2009年度からは、GOODYEARレーシングでの、NASCAR用タイヤの開発ドライバーを担当。また近年はシボレー社のスポーツカーディビジョンのアフターパーツ開発ドライバーとしても活躍。 シボレー・カマロ及びシボレー・コルベットの米国本社での開発に携わっています。さらには自身が代表を務める株式会社アイロックでは、シボレー・コルベットのオフィシャルアップグレードパーツの開発。2014年度ラスベガスで開催される、世界最大のアフターパーツショーSEMAの会場にて、CORVETTE専門のカスタムコンプリートカーブランドREVORIXを、カルフォルニア州アナハイムにて発足する事を発表。
     
    ■古賀さんが車を好きになったきっかけとそれがいつ頃なのか教えてください。
    僕は本当に物心ついたときから車が好きで、そうゆう車関係の家系でもないし、うちは母親しかいなかったから全然そんな環境じゃなかったんだけど、とにかく車しか好きじゃなかったです。3歳とか4歳とかって仮面ライダーとか周りはそうゆうものに夢中なんだろうけど、僕はもうレーシングドライバーになるって思っていたんです。その当時すでにレーシングドライバーの中嶋 悟さんが好きだったんですよ(笑)普通だったら例えば野球選手とか、戦隊もののヒーローものに憧れたりするんだろうけど、僕の場合は中嶋さんと矢沢永吉さんだったんです!いまと全く変わってない!(笑)幼稚園の卒業文集みたいなものに「レーシングドライバーになる」って書いていましたからね。
    オートスポーツって本わかりますか?
    周りは絵本とかに夢中だったけれど、僕はオートスポーツを愛読してましたから。
    なんなのかは自分でもわからないんですよ!母親が乗っていた車も普通の軽でしたし、本当に環境でもないから。。。ただ当時住んでいた所が国道の前だったんで、ずっと車を見てたってのはあるんですが、車は最初からスポーツカーが好きだった。普通だったらきっかけは親に連れて行ってもらった鈴鹿サーキットだったとか、TVでアイルトン•セナに憧れてとかなのかもしれないけど、別にそうゆうことでもなく3歳くらいの時にははっきりと「車しか好きじゃない」って自覚していましたね。

    ■へー!!!すごいですね!それではモータースポーツに挑戦されたのはいつですか?
    当時、レーシングカートは12歳からできたんだけど、その頃の自分は10歳で
    F1ドライバーになりたかった。折しも時はF1ブームでしかもバブル。親たちもお金があって、周りはお父さん、お母さんにねだってカートを買ってもらっていたんです。
    でも、自分はねだるわけにはいかなかったから10歳から働きました。朝刊や夕刊の新聞配達で12歳までにお金をためてゴーカートを中古だったけど買いました。
    でも自分の中ではゴーカートを買ったのもあくまでも過程のひとつだったんです。
    なにしろ物心ついたときから「F1ドライバーになる」って決めているから。
    幼稚園から小学生、その間もF1ドライバーになるってとこからカウントダウンしていましたね。

    小学校の2、3年時に僕は名東区の梅森って場所に住んでいたんですが、一人で鈴鹿にいってましたからね!4年生ぐらいだったら朝の予選からフリー走行まで全部いってました!雨であっても「雨だったら中嶋さんはどういう走りをするんだろう」「鈴鹿のS字カーブは。。。」とかずーっと考えて見てた。F2とかグランドチャンピオンとか大きいレースじゃないものも、いろいろなレベルを見ようと思って行っていました。

    ■すごい小学生ですね!
    中嶋さんのトークショーとかにももちろん行っていて質問コーナーとかで「はい!!」って手を挙げて「僕、中嶋さんが現役のうちに絶対F1いきますので勝負してください!」なんて言っていたの。(笑)車のことやレースが大好きだけど、まだなんにも分かっていないから日本のレースなんてすぐいけると思っていたんですね。(苦笑)
    それで満を持してゴーカートに乗ったんですが、才能のなさにびびりましたね!!!
    ゴーカートって押しがけあるんだけど、それさえもできない。まぁ最初は大人がやってもなかなか難しいんだけど。。。青少年公園におもちゃみたいなゴーカートがあったんだけど、あんな感じの延長だと思っていたんだけどそんなもんじゃなかった!

    だから「とんでもないもの買ったし、とんでもないことを目指してしまった!」ってそこでようやく思いました。子供だったからね。ゴーカートはあくまでもレーサーになる一環の流れでサラッと終わらせて最年少でレーサーになんて思っていたんだけど。。(笑)その後結局、そこそこの成績とかは出せるようにはなるんだけど、思い描いていることには全然、追いつかないわけですよ。

    要は初心者なのに先に知識だけ詰め込んでいたんですね。だから現実とイメージのギャップに衝撃を受けた。それで最初にすでに才能はないなという自覚はしたんですよ。練習しても才能ないけど、12歳で子供だったけれど、冷静ではあって「才能はない。それでもレースは好きだし職業にしたいな」と思いながら19歳までカートをやって、いったんそこでカートやレースは終わりにしたんです。
    今思うと、けっこういいターニングポイントだったと思いますね。

    ■ターニングポイントとは?
    やっぱり、カートでもお金ってけっこうな額かかっていたんで、お世話になっていたチームにレースの未払金とゆうか立替金とかしてもらったりもしていたんです。周りにも同じような人達はいたけど、そうゆう立替金とか踏み足して姿を消しちゃう人たちがけっこういたんですね。けれど、それ見ていて僕は母親一人に育てられてきたけど、こんなに世話になった人たちを裏切ったりするのだけはよくないと思ったんです。
    だから、まず働きました。二級整備士の免許ももっていたし、キャドなどもできて、当時アウトソーシングもすごく活気があったから 初任給でけっこうなお給料をしっかりもらったんです。それでかなり高額だった借金を1年ほどで返しました。
    返すとお金に余裕ができて遊びたくなったんですね。高校の時に購買ってあるじゃないですか?その頃チーカマがはやってたけど僕は1回も買ったことなくて、借金返済後はまずはあの頃買えなかったチーカマを買って(笑)あとはちょうどアメ車がはやっていて、もともとアメ車は好きだったし、それでシボレーのカマロを買ってクラブなんかに行きまくって遊んでいました。お金はそこそこあったし、まぁたのしかったんですけど。。。すぐ「こんなんどうなんだろうなぁ。。」とも思っていたんですね。それで一年くらいたってひさびさにカート場に顔をだしたんです。
     
    そしたら僕と同級生の人たちがまだ一生懸命やっていたんですね。その一生懸命ってのは「まだやってるの?」とかじゃなくてそれを見て「だめだ。自分も好きなら 才能がなくったってちゃんとやりたいことをやろう」って思ったんですね。

    それでまずはレーシングオンという雑誌でフォーミュラ・トヨタのオーディションがあったんで、それを受けたんです。一応受かったんで、それで2レースか3レース出たんです。まぁそこでも自分の才能のなさは自覚するんだけど。。。(苦笑)だけどけっこうみんなが応援してくれて、どうせ才能がないなら一番好きなことをやってみようと思ったんですね。
    本当はその後一年もスポンサーも決まってフォーミュラ・トヨタも決まっていたんですが、たまたまアメリカにいる昔からの知り合いが「古賀君、そういえば昔からナスカー出たいって言っていたよね。この間シアトルにいったけどドライバー募集しているチームがあったよ。」って教えてくれたんです。
    その頃まだネットもないから情報は少なかったけれど本当にナスカーには出てみたかった。

    それで勤めていた会社に「アメリカに行きたいので少し休みをください」って言いにいって、仕事はちゃんとしていたので突然だけど休みはもらえて、でも海外なんて行ったことないからパスポートももってない。取りいくのを調べたら通常1週間かかるって。

    ■そうですね。それでどうしたんですか?
    旅券センターにいって「どうしても旅立たないといけない。明日のフライトに乗らなければいけない」って色々嘘ついて(ごめんなさい!!)カウンターで直訴して頼み込んで。 そしたら出してもらえて(笑)
    次の日にまだセントレアもないときだったので小牧の名古屋空港にいったんです。チケットの買い方も分からないからカウンターで「シアトル行きのチケットください」って。 3万くらいかなぁなんて思っていたら10万以上して!(笑)ええーー!そんなにするのか!となったけど持ち合わせの現金がなかったんで、母親に頼んで空港までお金を届けてもらって旅立ったんです。

    ■すでにすごい話ですね(笑)それでアメリカに渡ってどうなったんですか?
    レーシングスーツとか全部もっていったから、英語なんてもちろん全然できないけど、アクセルやらブレーキやらって車の用語はわかるし、なんやかんや話していざ契約書ってとこまでいったんですね。要は持ち込みってやつでこれだけの金額をもってきたら乗せてやるってもので、それがそのとき1500万くらいだったんです。

    ■えーー!1500万ですか!?
    そのとき、なんの計算か僕は「へー150万か。安いなぁアメリカは」なんて思って、分かったって言いながらパパッとサインしてそれで帰ってきたんですが、帰ってきて考えたら1500万だったわけで!!! しっかり稼いでいたけど遊んで貯蓄なんてすっかりなくなっていたし、これは困った!て思ったんですね。

    ■それでどうしたんですか?
    どうしたらいいものか。。と思いながら行きつけのお店のカウンターで食事をしていて、そこのマスターに「スポンサー見つかった?」って聞かれて「いやーまだなんだ。期限まであと三週間しかないしな。このままじゃ訴えられてしまうかもなー」などと真剣に思って話をしていたんです。そりゃ断ればよかったのかもしれないけれど、やりたい気持ちはあるし、だけど期限は迫ってるきているし困ったなぁって思っていて、そしたらひとつ間をあけて座っていた全く知らないお客さんが
    「お前はなんでそんなに金がいるんだ?何をしているんだ?」って聞いてきたんです。
    だから「僕はアメリカのモータースポーツのナスカーってレースに出て一番になりたいんです。僕がでたいナスカーってのは実力で賞金が稼げるレースで、自分の力で金持ちになりたいんです。」ってナスカーの説明や自分の車への思いとかを話したんですね。 
    そしたらさらに「なんでアメリカに行きたいんだ?」てその人が聞くので
    「自分は矢沢永吉さんが好きだけど、えいちゃんがビデオの中で「男はどうしてもアメリカにいけ」って言っていたのでどうしても行きたいんです。」って話をしたんです。

    そしたらひとしきり話を聞いたあと、その人がサラッと書いたメモを渡して「明日1時ちょうどにここに来い」って言ったんですね。その人のことを全く知らないけれど「わかりました。」って言って、次の日に書かれた住所に出かけていったんです。でも普通「1時にこい」とは言うけどわざわざ「ちょうど」って言わないじゃないですか?

    ■言われてみれば確かにそうですね!
    僕はそれがどうしても頭に引っかかっていたんで、ドアの前にたって携帯の時報のピッピって音を聞きながら、1時ピッタリにチャイムを鳴らしたんです。そしたら昨日の人が扉を開けて「お前は信用できるな」って言って中に招き入れてくれてスポンサーになってくれたんです。実はその方は某有名企業の社長さんだったんです。

    ■えーーーー!!!!!そんなことってあるんですね!もう正にドラマですね!!
    それで僕はアメリカに渡ったんです。それがなかったら本当になかった話でしたね!
    それが2000年ですね。行ってからは言葉も全然わからないし人種差別とかも色々あったんですが、出た年にハードチャージアワード(観客をもっともわかした選手に贈られる賞)って賞をとれて、難しいけどやれるなって思ったんです。日本でレースをやったときより手応えを感じたんです。

    それで次の年からアメリカを転戦するレースに出ていたんだけど、チームのスポンサーが上手に集まらなくてチームが解散してっちゃったんです。結局局自分とメカニック2人だけになって。他のチームはプロじゃなくてもたくさん車好きの助っ人みたいな人がサポートとして30人とかいるんですね。でも自分のとこは2人!以上(笑)
    タイヤ交換さえもできない!移動だってもちろん人に頼むこともできなくて、自分で運転して2日とか3日かけて移動して、車のメンテナンスとかはその合間の日が落ちる前にやって、とかやっていたんですよ。今やれって言われても出来ないことをあの頃はやってましたね。本当になにも知らないってことはすごいね。国内移動と言っても日本列島より長いような距離とかをね、ほんとよくやってたもんだと自分で思いますよ。

    そんなこんなで細々やっていたけれど、もう本当に続けていけない状況になっちゃって。だから下手な英語で「お金がなくて続けていけない。次が最後のレースだ」と一緒に戦っていた周りの人たちとかに伝えたの。そしたら周りのチームが色々貸してくれたんです!モーターもエンジンも、なんでも。人まで貸してくれて、それなりのパッケージになったらそこそこ走れたんですよ。(笑)
    まぁそれでもやっていくには厳しいし、やりたいけれどアメリカにいられるのも最後かなと思っていました。

    そのあたりにちょうどイチローや大魔神がアメリカに来て、アメリカで活躍する日本人アスリートにスポットが当たった時だったんですね。だからありとあらゆるスポーツ局やらスポーツ雑誌に「イチローや大魔神もいいけど、ナスカーってカーレースに出てるすごい日本人がいますよ。ぜひ取材をしたほうがいいですよ。」て売り込む電話を自らかけまくったんです。(笑)
    そしたらけっこう地元のメディアもきてくれて、中継してくれたりして、ちょうどその最後のレースと思っていたレースに他のチームの偉い人とかも見にきてくれて、いいレースができたから、次の年にはひとつ上のチームから声がかかったんです。そこからまた試合に出て、2005年にはフル参戦して最後には全米オールスター戦に出れたりしたんです。

    ■すごい話ですね。ところでアメリカの一般の人にとってモータースポーツっていうはどんなものなんですか?
    日本でいう草野球と一緒ですね。日本だとサーキットって数えるほどしかないけど野球場ってどこだってあるじゃないですか?それと一緒です。アメリカでは同じくらい車のオーバルコースがあるんです。
    だから三歳くらいでゴーカートもやりだすし、いろんなモータースポーツがあるけど上は40歳、50歳もっと上だっている。 観客もたくさんいるし。

    ■車に対する文化も違うんですかね?
    文化というかなんというか車で遊ぶってこと自体が色々違うんだと思いますね。
    どこでもいつだってレースがありますね!平日だってあるし土曜のレースの盛り上がりは本当にすごい。
    日本でサーキットを借りるとなると20分、6000円とかかかってしまうけど、アメリカだったらそこそのコース借りたって、5000円で一日中走れる。

    ■そんなにも違うものなんですね!
    しかもナスカーっていうのは、なんといっていいか難しいけれど「ナスカーだけが正義」みたいな誇りをもってるいるような固執した古い考えや文化をもった人たちがやっているレースなんですよ。
    そんな中まぁ僕がラッキーだったのは、なんにも分からないままはじめたのがシアトルだったてことだね。シアトルはナスカーが盛んではなかったけれど、西海岸では一番古くからやっていた。それでシアトルからでてった古賀琢磨ってやつが全米オールスターに出たってシアトルの地元の人たちが応援してくれたんですよね。日本人が応援してくれたとかじゃなかったんですよね。

    ■なるほど。それでは文化や考えも違うアメリカでモータースポーツをやっている古賀さんが考えるモータースポーツの魅力を教えてください。

    まずは車って千馬力だろうが五十馬力だろうが、使い方を間違えるとすごい凶器になってしまう。ただそんな道具を身体能力に関係なく誰でも操ることができる。女性や子供も楽しめるってことが車の魅力のひとつにあるんですよね。
    あとは特にアメリカにいって思ったことは、アメリカは自由の国って言われるけど、ルールはすごく決まっている。例えば高速道路でも日本だったら許されるようなスピード違反だって絶対許されない。ただモータースポーツやカーレースってなると国や街がものすごくバックアップしている。だからそうゆう場がきちんと設けられていることでルールをおかさずに楽しんだり挑戦できるからいいんだと思うんです。

    新城ラリーとかはまさにそれですよね。見ている側も思う存分楽しめて、そうなるとやりたいなってことにつながるんじゃないですかね。まだモータースポーツって「見る」ところから「やる」ところがすごく遠いとこにあるからね。見て、やりたいと思ってもどうやっていいか分からない。
    大きい所が関わったり行政が動くとそれだけ身近に楽しめたり関わる機会が増えるから、やりたいって気持ちは自然と出てくると思うんですよね。関わらないと想像できないものね。

    ■先ほど話の中にでた新城ラリーは愛知県で行われますが、そのようなレースに古賀さんも出てみたいななどと思いますか?
    出てみたいですね!そもそもラリーカーに乗ったことないし、とにかくやってみたいですね。まず近いしね!アメリカ行かなくていいですからね(笑)ぜひ機会があれば出てみたいですね。


    ■古賀さんのラリーに挑戦という姿もぜひ見てみたいです!本日は本当にありがとうございました。

     

    古賀選手が参戦するナスカーとは。。。
    日本には無いレースカテゴリーで、1949年に市販車を改造して浜辺(デイトナビーチ)でみんなでスピードを競い合ったのがレースのスタート。米国では、野球・フットボール・バスケットボール・ホッケーと同様に、アメリカ国民にはなくてはならないエンターテーメントになっていいるモータースポーツ。
    ナスカーについて詳しくは古賀琢麻選手のオフィシャルホームページで詳しく読むことが出来ます。
    http://www.takumakoga.com/

    ◆レース歴
    •1992~1998: レーシングカート
    •1998~1999: フォーミュラートヨタ
    •2000: NASCAR WEEKLY RACING SERIES (ハードチャージャーアワード受賞)
    •2001: NASCAR RAYBESTOS NORTHWEST SERIES
    •2002: Winston west
    •2003: Winston west
    •2004: Grand National Division
    •2005: Grand National Division 全米オールスター戦出場
    •2006: Grand National Division
    •2007: WEST COAST PRO TRUCKS 年間シリーズランキング3位
    •2008: WEST COAST PRO TRUCKS 年間シリーズランキング3位
    •2009~: H-EXCEED RACING NASCARタイヤ開発テストドライバー

  • とってもドラマなお話にびっくり☆インパクトのあるモータートークをありがとうございました!! 古賀選手のご活躍をこれからも期待しています(^^)
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