あいスポ|スポーツ体験ブログ

  • 【知られざる世界のラグビー】 第6回

  • 2016/03/31
  •  2016年、日本ラグビーに関するニュースが変わった。毎週のように、世界各地からのニュースが並行して入ってくるのだ。

     たとえば、豊田スタジアムでスーパーラグビー・サンウルブズの初試合となるトップリーグ選抜戦が行われた2月13日。この日は、前日12日の夜、イングランド・プレミアシップのニューカッスル・ファルコンズに移籍した日本代表プロップ畠山健介がレスター・タイガース戦に途中出場でプレミアシップデビューを飾ったというニュースが届いた日であり、同じ13日には日本代表ナンバー8アマナキ・レレイ・マフィがウースター戦に先発し、日本代表選手としてプレミアシップ初のフル出場、続く20日のワスプス戦では初トライも記録した。

     27日にはスーパーラグビーのレッズに加入した五郎丸歩が前半途中から出場し、1コンバージョン1PGを成功。スーパーラグビーの日本人選手は過去、田中史朗、堀江翔太、リーチマイケルがトライを決めているが、キックによる得点はこれが初めてだった(サンウルブズのキックによる得点は第5節まで、すべてサモア代表のトゥシ・ピシによるものだ…)。

     そして3月12日にはサンウルブズの山田章仁がチーターズ戦で3トライを量産。スーパーラグビーにおける日本人選手初のハットトリックだった。山田はこの活躍で、スーパーラグビー第2節のチーム・オブ・ザ・ウィーク(週間ベストフィフティーン)にサンウルブズから初選出を果たした。同チームには第5節、SOピシが第2号で選出された。日本の選手、日本チームが世界で活躍するニュースが、当たり前のように飛び交うようになったのだ。

     五郎丸歩やリーチマイケルが他国チームでのプレーを選択した当初は、国内ラグビーの空洞化を懸念する声も聞かれた。気持ちは理解できなくもない。現在のラグビー人気は昨年のワールドカップでの日本代表の活躍ゆえのもの。ワールドカップで活躍した主役の五郎丸やリーチ、田中が参加しないのは、スーパーラグビーに新規参入するサンウルブズにとって、観客動員などの面で痛手に思えた。

     だが、少なくとも出足の時点では、それは杞憂に終わっている。開幕戦のライオンズ戦は秩父宮ラグビー場にほぼ満員の19814人が集結。国内2戦目となったレベルズ戦は雨の予報が出ていた中で16444人が詰め掛けた。キャプテンの堀江翔太、エースの山田章仁、最年長の大野均、突破役の立川理道らワールドカップ日本代表の主役たちが出場しているだけでなく、サンウルブズの戦いぶりそのものが多くのファンの心を捉えている。

     思い出すのはアルゼンチンの躍進だ。アルゼンチンが初めてワールドカップで8強入りしたのは1999年大会。この大会を迎える時点で、アルゼンチンのワールドカップ通算勝利はわずか「1」だった。アルゼンチンはこの大会でサモアと日本を破り、プール3位ながらこの大会でのみ採用された「3位ベスト」として、これもこの大会のみで行われた準々決勝プレーオフでアイルランドを破り8強に進んだ。

     これがアルゼンチンの選手を取り巻く環境を劇的に変えた。99年大会では、ワールドカップ代表30千種のうち、欧州でプレーしていた選手は7人。チームの大半は国内クラブでプレーするアマチュア選手だった。それが2003年大会ではチームの半数にあたる15人に急増。IRB(現ワールドラグビー)創設メンバー8カ国以外で初めてワールドカップ4強入りした2007年大会では、チームの大半にあたる23人が欧州クラブでプレーする選手だった。そのアルゼンチンが、現在の世界ラグビーで得ている評価はみなさんご存じの通り。主力が大幅に入れ替わった2011年大会もスコットランドに競り勝って8強入りし、昨年のワールドカップでは2度目の4強入りを果たした。アルゼンチンの躍進について、2012年からザ・ラグビーチャンピオンシップ(南半球4カ国対抗)に参戦したことをあげる声は多いが、その前10年以上にわたり、たくさんの選手が個人の資格で新たな環境に挑んでいた、その時間と経験の積み重ねがあったことは覚えておきたい。

     国内組と海外組がそれぞれの持ち場で力を高め、ナショナルチームのレベルを上げていく。日本も、そんなサイクルに入ろうとしている。

     2016年は、日本ラグビーが真の意味で開国する年として記憶されることになるだろう。


    ラグビージャーナリスト 大友信彦
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