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  • 【BOYS AND MENスポーツインタビュー】 田村侑久 第2回

  • 2015/08/31

  • 田村侑久インタビュー3


     ボイメンの中でもひときわ努力家との定評があるタムタム。
    得意のサッカーは、中学・高校と続けてきた。けれども高校で入ったサッカー部はかなりの弱小部だったという。

    「初めは1年生が30人ぐらい入ったんですけど、みんなどんどんやめていっちゃって。
    1年の半分ぐらい経った時にはボクしかいなくて。ボクは絶対変えてやりたいと思っていたんで、学校へ行ったら毎日サッカーが上手い子たちに『サッカーやろうよ、サッカー部に来て』って、めっちゃ誘って、半年ぐらい毎日誘ったらやっと来てくれるようになって、3人同期ができた。
    で、ボクは2年生からキャプテンさせてもらって」

     タムタムの思いが伝わったのかな。情熱と根気は人の心を動かすのかもしれない。

    「まずはグラウンドの整備。朝も夜も全部。雑草抜いてグラウンド整備して。そこから練習。
    その時ちょうど顧問の先生が替わったんで、結構厳しい感じのいい先生が来てくれたんで、『徹底的に変えていきましょう!』って。
    そこから今まで勝てなかった高校に勝てるようになって。めっちゃ強かったわけじゃないですけど、でも最後の引退試合で、7対3で勝ったんですよ。
    それが唯一の財産ですね」

     まさにタムタムの一念が変えていった弱小サッカー部。
    昭和のテレビドラマに匹敵するほどのエピソードがたくさん生まれたに違いない。

    「あの頃はサッカーだけに賭けた時期だった。
    だからそのために、後輩たちにも厳しく、嫌われてもいいと思って。結構やんちゃな高校だったんで、みんなすぐ辞めていっちゃうんですよ。
    でも簡単には辞めさせないって。人数不足で試合に出られなくなっちゃうんで。
    誰か一人が辞めると言ったら徹底的に止めて。後輩たち、友だちとのけんかのトラブルも多かったんですけど、それも介入して。
    夏休みの宿題とかも全部みんなのやつを面倒みて。それでも一時、辞めていっちゃった子がいて、それで7人とかになっちゃったんですけど、その時、野球部の子に助けを求めて、野球部の子と一緒に試合に出た思い出もあるんです」

     目標を見据え、垣根を超えて人とのつながりを大切にするタムタム。そんな彼が今も大事にしているのが、ジダンのユニフォームだ。
    特にファンということではないのだけれど、中学の時、友だちがお土産で買ってきてくれてから使い始め、さらに高校時代もこれを着て練習していたんだとか。

    田村侑久インタビュー4

    「俺も10番でしたからね。キャプテンだったから。
    それにしても、今でもこんなに綺麗に保管されているなんて、俺ってすごくないですか?モノを大事にする田村!って(笑)」

     サッカーと共に歩み続けてきた中で、地元のグランパスをはじめJリーグの試合を観戦したこともある。
    でもやっぱり自分がスポーツをする方が好きと語るタムタム。スポーツは彼の人生に欠かせないものらしい。

    じゃあ、これからしてみたいスポーツは?と訊くと、あれもこれも…と夢いっぱいの答えが!
    さらにその背景には、タムタムの家族の謎が隠されていた!?次回もお楽しみに?!!

    (インタビュー&ライティング 三輪のり子)

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