本コラムも残すところ、あと2回となる。第5回と第6回については、前半・後半という構成で進めていきたい。よろしければお付き合いのほどを。
今回、そして次回のコラムで考察してみたいのは、フットサルとサッカーの共存共栄についてである。
これまでにフットサルとサッカーは似て非なるもの、としてきたものの、ボールを足で蹴ってゴールに入れるという基本的な動きはやはり共通するもの。二つの競技を行き来する選手も過去にはおり、またどちらの競技も楽しむプレーヤーも多い。
Jリーガーの中にはオフに仲間とフットサルに興じ、自らフットサルコートを経営する選手もいる。二つの競技における選手たちの感覚に壁はなく、その距離は実際のプレー感覚の違いほどには遠くない。
フットサルとサッカーは、もっと共存できるはず。それは現状としてまだサッカーほど魅力を知られていない、日本におけるフットサルが抱える問題であり、実はこの点にこそ両者の更なる発展につながるカギが隠されている。
ブラジルやスペイン、ポルトガルなどサッカーもフットサルも列強国としてのステータスを確立している国では、実はサッカーの出発点がフットサルであることも多い。
最近では日本も小学校年代のサッカーの試合を8人制とし、より動きのある試合展開から技術や戦術などを磨く動きが生まれているが、南米あるいは欧州はさらに単位を小さく、フットサル(あるいはそれに類するもの)からボールを蹴り始めることは日常だ。
元ブラジル代表のロナウジーニョやロビーニョを例に挙げるまでもなく、昨今はフットサルの技術をサッカーで発揮する選手も増えてきた。あのクリスティアーノ・ロナウドが1対1の際に見せる華麗な足技も、フットサルのテクニックがふんだんに散りばめられている。
ではなぜ、列強はフットサルをスタート地点に選ぶのか。幼少の頃からサッカー1本で純粋培養してきた方が、よりサッカーが上手くなるのではないか、という疑問が浮かぶのは当然のことだろう。
しかしコートの狭いフットサルはサッカーに比べてボールを持った際の余裕が少なく、1対1、2対2などの局面打開のスキルが自然と養われる。成長段階のプレーヤーたちにはフットサルのボールは扱いやすく、個人技術も身につけやすい。
以前、名古屋オーシャンズに所属していた元名古屋グランパスの平林輝良寛(現J2山口)は当時、「僕も昔からフットサルをやっていたかったですね。そうしたらもっと上手くなれたと思う」と、フットサルを原点とすることの効果を実感として語っていた。
サッカーがもっとうまくなりたいから、フットサルからプレーを始める。これまではサッカー出身の選手が後から始める競技がフットサルだった日本では、真逆のアイデアだ。
子どもたちの体格を考えても、フットサルのコートはちょうどよく、また少人数でできる部分においては大人同様に手軽。フットサルのテクニックは体幹の強さを要求するので、ナチュラルな身体能力を養う点でも有効だ。
これだけでも子どもたちがフットサルをプレーする利点は大いにある。
しかしそれではフットサルがサッカーの踏み台にされやしないか、そう考える方もいるかと思う。
その点については、後半でさらに深く考えていきたいと思う。
(スポーツジャーナリスト 今井雄一朗)