フットサルとサッカーの共存共栄について考察してきた。
前回(第5回)ではフットサルを起点としてサッカーを始める利点について話をした。しかしそれではフットサルが踏み台になってしまいやしないか、という懸念も生じる。だが、そんなことは全くなく、むしろフットサルにもメリットが生じると考えられる。
フットサル選手とサッカー選手の違い。それは競技との相性に委ねられる部分が大きい。フットサル出身のサッカーブラジル代表がいる一方で、フットサルで名を成した選手がサッカーでは結果を残せないのは、 能力の違いではなく、求められる資質の違いがあるからだ。コートの大きさで4倍以上、人数が倍も違う二つの競技はボールを足で蹴るという共通点はあるものの、瞬発的かつ連続的な動きが多いフットサルと、スプリントも持久力も、そしてコンタクトに耐える体の強さも求められるサッカーとでは、必要な肉体的条件が違う。一度どちらかに慣れてしまうと、どちらかに順応するのは一筋縄ではいかない。
しかし、より困難なのはサッカーからフットサルへの適応だ。なぜならフットサルは少ないスペースを有効活用し、相手を突き崩すためのセオリーや戦術が無数に存在し、ルールもサッカーに比べて細分化されている。単純に覚えることが多いため、サッカー出身のフットサル選手ははじめ、“フットサルの習わし”を学ぶことで手一杯となってしまう。昨今は足裏トラップをサッカーのピッチで見ることは珍しくなくなったが、ほぼすべてのトラップが足裏のフットサルのピッチに立つと、サッカー選手はなかなか足裏トラップを多用できない。サッカー選手として体に染みついたサッカーの技術が、フットサルのコートでは足かせにすらなってしまう。それでは本当はフットサル選手としての大きな才能を秘めている選手が、戦術的にも技術的にも遅れをとってしまうことになる。
つまり、より専門的な技能が必要なフットサルから枝分れするように、サッカーとフットサルの選手を育てていくことが、両競技がともにメリットを抱える流れと言えるわけだ。サッカー、フットサルに共通するボールを扱う技術と少人数のグループでの局面打開法を子どもの頃から身に着け、心身の成長とともにフットサル向きの選手、サッカー向きの選手という選別、あるいは決断を行うことは実にスムーズだ。そうやって大成した好例には、現在のフットサル界を代表するスーパースター、ポルトガルのリカルジーニョがいる。
身長164cmと小柄だが“魔術師”と例えられる極上のテクニック、スピード、戦術眼を兼備する男はかつて名古屋オーシャンズでプレーしたこともあり、そのスーパープレーを目の当たりにした方も多いのではないだろうか。彼はもともとサッカー選手を目指していたのだが、フットサルも同時にプレーしていく中で自分がフットサル向きの選手と思うようになった。結果、彼は10代のうちにフットサルのプロになり、世界ナンバーワンとも称されるスター選手に成長した。あるいは彼ほどの才能があればサッカーから転向しても成功はしたかもしれない。しかし、それなりの遠回りをしたことは間違いないだろう。サッカーを続けていて、世界最高の選手と呼ばれるようになったかは、その体格からしても難しかったに違いない。フットサルとサッカーの“適材適所”は、やはりフットサルから見極めるのが効率が良い。
2006年にFリーグが発足して以降、各チームはそれぞれの下部組織を持つようになり、フットサル純粋培養の選手を育て、トップチームの力とすることを目指してきた。しかし、まだまだその成果は不十分であり、フットサルの世界に留まったものだ。近年ではFリーグとJリーグの交流も深まってはきたものの、これもまだ話題作りの面が否めない。これほど似ている競技であるにもかかわらず、まだその間に横たわる壁は高く、厚い。しかし、育成の面から見つめた時、これほどのベストパートナーはないとも思える。
フットサルを起点に、両競技に相性の良い選手を効率よく見極め、それぞれの世界に有能な選手を輩出する。すでに世界に成功例の多いこの新たな育成システムは、日本の現状にマッチしていると思える。今なお、サッカーでプロになれず夢を諦める者や、フットサルで大成したいと願っても、スタートが遅く自らのピークを逃してしまう者がいる。そうした両競技における損失をカバーする力が、フットサルにはある。双方の共存共栄への道は、それぞれのさらなる発展へもつながるはずだ。
(スポーツジャーナリスト 今井雄一朗)