世界を驚かせたラグビーワールドカップでの日本代表の南アフリカ撃破。
南ア戦の前は数えるほどだった日本の試合前日練習を取材する海外メディアが、次のスコットランド戦の前には100人以上に増えていた。
練習後の記者会見、登壇したのはエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)と、スコットランド戦にSOで先発する立川理道、そしてLOトンプソンルークの3人。
会見が始まり、トンプソンが口を開くと、海外の記者の間にキョトンとした空気が流れた。
彼らを驚かせたのは、トンプソンの流ちょうな日本語だった。
「私たちはサウスアフリカとの試合の前は、すごく自信を持っていました。この試合に勝ったことは嬉しいけれど、次の試合が私たちにとってはすごく良いチャンス。スコットランドにチャレンジしたい」
南アフリカ戦から中3日のハードスケジュールについて聞かれると、激闘で顔についた大きな傷を指して「ブサイクだけど、絶好調!」と言って笑わせた。
トンプソンはNZのクライストチャーチに生まれ、23歳のときに来日。
三洋電機(当時)で2シーズンプレーした後2006年度に近鉄に移籍。2007年に「その国に居住3年、他国での代表経験なし」という規定を満たして日本代表に選ばれ、同年のワールドカップに出場。以後日本代表に欠かせない選手となり、今回のワールドカップでも4試合すべてに出場した。
トンプソンは2010年に日本国籍を取得。
2011年に母国NZで開かれたワールドカップには、日本人として出場したわけだが、2011年も今回も、日本国籍を持たずに代表入りしている選手もいる。
南アフリカ戦で最後の逆転トライをあげたカーン・ヘスケスはNZ国籍のまま。
一方、主将のリーチマイケルはニュージーランドで生まれ、2003年に15歳で来日、札幌山の手高から東海大を経て東芝に進み、2011年はNZ国籍で、2015年は日本国籍で、W杯に出場した。いろいろなのだ。
日本の場合は、外国出身選手は外見も名前も目立ちやすいので「外国出身」が多い印象を与えるが、これは日本に限ったことではない。
2015年のW杯でも、公式メディアガイドに記載された各国代表選手の「出生地」欄を見ると、トンガ代表ではNZ生まれが6人でオーストラリア生まれが2人、サモア代表はNZ生まれが11人、アメリカ代表にはアイルランド、オーストラリア、南アフリカ、ジンバブエなどいろいろな国生まれの選手が含まれている。
19世紀に英国で生まれたスポーツであるラグビーは、大英帝国の世界進出にあわせて多くの国に広まった。
ラグビーボールを携えて世界に進出した英国人たちが、植民地や居留地、独立した新興国に住む形態は、行政や商用等の短期間の赴任であったり、本格的な移住だったり、さまざまだった。
やがて、NZのマオリのように、移住した英国人とともにラグビーを楽しむ先住民も現れた。
その地でチームを作るには、「なぜ」そこに居るのかを問うてはいられなかったし、その必要もなかった。
「その地でラグビーをしている者」の代表が、すなわち国/地域の代表チームだったのだ。
日本代表に加わっている外国出身選手も、リーチやホラニ龍コリニアシのように高校から、ツイヘンドリックやアマナキ・レレイマフィのように大学から日本に来た選手も、ヘスケスのようにプロのラグビー選手として来日した選手も居る。
それぞれの国に根付いているという条件をつけながらも、バックグラウンドの多様性を認め合う。それも、団体球技で、最も多くの人数を必要とするラグビーらしい規定だなあ、と思う。
(ラグビージャーナリスト 大友信彦)