2月27日、東京・秩父宮ラグビー場で歴史的な試合が行われた。ラグビーの世界最高峰リーグと謳われるスーパーラグビーの試合が初めて日本で行われたのだ。
秩父宮ラグビー場は約2万人を超える観衆が押し寄せ、熱戦を見守った。
2月13日の豊田スタジアムでのお披露目試合も記憶に新しい我らが日本チーム・「サンウルブズ」は残念ながら13対26で「ライオンズ」に敗れたが、フィジカルの強さを誇る南アフリカの巨漢軍団を相手に互角に対抗。初陣とは思えない戦いを演じた。
同じ27日、オーストラリアのシドニーでは、ブリスベンを本拠地とするレッズに加入した日本代表FB「五郎丸歩」がワラターズ戦に途中出場でデビューし、ペナルティーゴールとコンバージョンキックを成功。
キックによる日本人選手のスーパーラグビー初得点をあげた(トライはハイランダーズの「田中史朗」が13年に、レベルズの「堀江翔太」が14年にあげている)。
ニュージーランド(NZ)のチーフスに加入した山下裕史はクルセイダーズ戦に先発。
日本で、南半球で、続々とスーパーラグビーに日本人選手がデビューを飾っているのだ。
日本のファンにとって、一気に身近な存在になったスーパーラグビー。
この大会は1986年、13人制ラグビーリーグの人気に対抗するため、オーストラリアのニューサウスウェールズ州協会が中心になってオーストラリアとニュージーランドの州代表5チーム+フィジーの計6チームで結成した「サウスパシフィックチャンピオンシップ」(通称「スーパー6」)が始まり。その後、国際舞台に復帰した南アフリカが加わり、南太平洋3カ国の代表を加えた10チーム参加の「スーパー10(テン)」に拡大した。
この大会が再編されたのが1996年だった。前年、メディア王と呼ばれたルパート・マードック率いるニューズコーポレーションが、南半球の上位3カ国(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ)のラグビー協会で結成された「SANZAR」と独占放映権を締結したことから、ラグビーのアマチュア規定が撤廃され、プロ化時代が到来。独占放映権を結ぶ以上は有力なテレビコンテンツが必要、ということで、従来のスーパー10を発展させて発足したのがスーパー12だった。
参加チームはもともとあった州代表をベースにして結成され、大会期間中だけ活動する期間限定のスーパークラブ。その運営には、大会をより魅力的にするためのさまざまな工夫があった。
たとえばニュージーランドからスーパー12に参加したのはオークランド州が母体の「ブルーズ」、ワイカト州が母体の「チーフス」、ウエリントンが母体の「ハリケーンズ」、カンタベリーが母体の「クルセイダーズ」、オタゴが母体の「ハイランダーズ」の5チーム。
当時、世界ラグビーのスーパースターだったジョナ・ロムーはこれら主要5州協会ではないカウンティーズ・マヌカウ州協会の所属だったが、ハリケーンズでスーパー12に参加した。
オーストラリアではそれまで、シドニーを中心としたニューサウスウェールズ(NSW)と、ブリスベンを中心としたクインズランド(QL)に選手が集中していたが、それまで弱小州だったACT(オーストラリア首都圏)母体のブランビーズに他地域や南洋諸国の選手が参加して強化。のちに日本代表を率いるエディー・ジョーンズ監督のもと、2001年にNZ勢以外で初のスーパー12優勝を飾るのだ。
試合自体も、1試合に4トライ以上をあげたチームと、負けても7点差以内の接戦で終えたチームにはボーナスポイント(BP)を加算する勝ち点制を導入し、積極的なアタックと、最後まで目の離せない接戦を促進させた。
この勝ち点制はのちにワールドカップ(W杯)や日本のトップリーグにも導入され、世界的にラグビーのスタンダードとなっていった。
スーパー12は2006年にオーストラリアの「フォース」(拠点はパース)、南アフリカの「チーターズ」(拠点はブルームフォンテーン)という2チームが加わりスーパー14に拡大。
2011年にはオーストラリアの「レベルズ」(拠点はメルボルン)が加わり15チームとなった。
そして今年は日本の「サンウルブズ」、アルゼンチンの「ジャガーズ」、南アフリカの「キングズ」という3チームが加わり、18チームでの開催となった。
一方で、従来は「4トライ以上」とれば勝敗にかかわらず得られたBPが、今年からは「相手よりも3トライ多く取った場合」に変更された。これにより、従来以上に、貪欲にトライを取りに行く戦いが期待される。
常に新しいシステムにチャレンジし、ラグビーの魅力拡大を探ってきたスーパーラグビー。サンウルブズの参入が、その魅力をさらに高めることを期待したい。
ラグビージャーナリスト 大友信彦