いま自分にできることは何か
自分を磨き、技術力と集中力を高め続ける
「たまたま」の出会いから、「たまたま」の国際大会出場を経て開花
“紳士のスポーツ”ともいわれるアーチェリー。しかし、およそ3㎏の重さの弓を左手で持ち、つがえた矢をグッと引く際には、約20㎏の負荷がかかる。またトップ選手が放つ矢は、時速約240㎞と新幹線並みのスピードになるというから驚きだ。2004年のアテネオリンピックでは、当時41歳の山本博選手が男子個人で銀メダルを獲得し、「中年の星」と日本を沸かせた。2012年のロンドンオリンピックでは、古川高晴選手が個人銀メダルを獲得。アーチェリーは東京2020でもメダル獲得の期待が高い競技のひとつである。そのアーチェリーで今注目を集めているのが、愛知県出身の武藤弘樹選手だ。
幼い頃は、田んぼが広がる地元・あま市を元気に駆け回っていたという武藤選手。名門・東海中学校に進学したのが、アーチェリーの道を歩むきっかけとなった。「友人が弓道部かアーチェリー部のどちらかにしたいと言うので、“たまたま”一緒に見学に行ったところ、アーチェリー部の先輩の様子が格好良くて」と当時を振り返る。中学1年生の秋、初めて試合に出場。周囲から「優勝できそうだ」と言われていたが敗れ、悔しさがこみ上げたという。「人に負けたくない」と練習に励み、中学2年生で全国大会に出場。中学3年生の全日本キャデット選手権大会では7位入賞を果たした。初の国際大会出場は、高校1年生の時。中国で行われた世界ユース選手権だったが、「周りの選手全員が強く見えて、“この中で自分が勝つのは難しい”と、気持ちで負けてしまった」。負けたことより、力を出し切れなかった悔しさが残った。
世界ユース選手権が開催されるのは2年に一度だ。次の大会時には高校3年生になっている。進学校に在籍し、「部活動は2年の秋で引退だから、次はない」と考えていた武藤選手に、思わぬ転機が訪れた。「“たまたま”枠が空いて、出場のチャンスがまわってきた」という南京ユースオリンピックに出場し、個人6位の成績を収める。「ちゃんと戦って、負けた」というこのときの負けが、もう一回世界大会に出て試合に勝ちたいという気持ちを強くし、「競技を続けよう」と決意。高校3年の世界ユース選手権では、ジュニア男子団体で銅メダルを獲得。その後、高校生でナショナルチーム入りを果たすなど、“たまたま”続きだったアーチェリー人生に転機が訪れていた。
「オリンピックに出場したい!」目標を明確化し、前進を続ける
アーチェリーの的は直径122㎝。中心円はちょうどCDほどの大きさだ。的までの距離は70mあり、はるか前方の的は米粒くらいにしか見えないという。この的を狙い、競い合うには、相当に高い技術力と集中力が求められる。武藤選手は、的の前に立つ際「視野を広くし、かつ、自分に集中する」という。また、集中力を高めるには「数を積み重ねるしかない」とも語る。まるで修行のようであるが、こうした考えは「受験勉強の経験も影響している」と振り返る。「アーチェリーの練習も勉強も、中途半端にしないと決めていました。やる時はやる、休む時は休む、とスイッチを切り替えて、どちらも手を抜かずに取り組んだ経験が活かされているかもしれませんね」。
慶応大学に進学後、大学3年時の2018年にワールドカップ第1戦、第2戦で男子団体銀メダルを獲得。同年はアジア競技大会にも出場した。この時、選手村で他の競技に出場する日本選手や各国の選手達との交流を通じて、「オリンピックに出場したい!」という気持ちが自らの内に湧き上がってくるのを感じたという。次のオリンピックといえば東京2020だ。2019年には世界選手権大会に出場し、同年11月には5年連続となるナショナルチーム入りを果たすなど、東京2020出場に向けて順調に歩んできたが、世界を襲ったコロナ禍によって東京2020は延期となり、緊急事態宣言によって練習活動も制限を受ける。しかし、武藤選手のアーチェリーに対する姿勢は、揺らぐことがなかった。
「正直、どうしようという思いがよぎりました。でも、できないことを考えてイライラしていては、何も上手くいかない。それなら、”いまできることは何だろう”と考え、いちから自分の打ち方を見直すことにしました」。まずは国際大会の映像を片っ端からチェックし、上位者の共通点を探ったという。「アーチェリーのフォームは、一概にこれが正しい、とは言えません。骨格や筋量によって異なるからです。学生時代の勉強を思い出しながら、運動生理学的に自分のフォームのクセはこのままでいいのか直すべきかを一つひとつ検討しました」。
アーチェリーを通じた絆や、故郷の愛知への思いを胸に、闘いに挑む
緊急事態宣言を受け、あま市の実家で約2カ月半を過ごすことになった武藤選手。外出自粛中は実家の和室で独自の工夫によるトレーニングを続け、自分の競技活動を多くの方に知ってもらうためにSNS発信も積極的に行った。特に意識したのは、部活動もままならなくなった中高生たちだ。アーチェリー部のある学校自体が決して多いとはいえず、ましてやトップクラスの選手と交流する機会も少ないであろう全国の中高生達にとって、良い刺激となればと考えてのことだった。
緊急事態宣言が解除された6月以降は東京に戻り、ナショナルトレーニングセンターでの練習を再開している。オリンピックは個人戦と3人1チームで戦う団体戦がある。団体戦では、普段どれだけ一緒に練習できるかがチームワークに影響する。気兼ねなく会話できることが第一なのだ。ただ、練習のペースや緊張のリズムは人それぞれ違うため、干渉しすぎないようにしながら、同じ空気感、一体感をつくっているという。「練習では古川選手がリーダーシップを発揮してくれています。自分は、チームの潤滑油的な存在ですね」。一見クールなメガネ男子という印象の武藤選手は、実は温かみに溢れた人柄なのだ。
「練習拠点は東京ですが、いつも地元・愛知を思っています。家族や小・中・高校の友人や先生方、みんなの応援があるから“頑張ろう!”という気になれるんです。頑張る姿を、そして勝つ姿を、みなさんにお見せしたいです」と東京2020に向けた意気込みを語る。アーチェリーの観戦ポイントをたずねると、「1点1点を競り合うハラハラドキドキ感、画面からも伝わる緊張感を見てほしい」とのことだ。
今年2月13日(土)~14日(日)に長野県で行われた「全日本室内アーチェリー選手権大会」ではリカーブ部門にて優勝を果たし、初のタイトルを獲得。そして、いよいよ3月20日(土)~21日(日)に東京2020の内定候補を決める第32回オリンピック競技大会アーチェリー競技最終選考会が行われる。最終選考会への出場権を得ている武藤選手の活躍と東京2020内定獲得に期待したい。
むとう ひろき。1997年生まれ。愛知県あま市出身。東海中学校に進学し、アーチェリーに出会う。東海高等学校1年で世界ユース選手権に出場。高校3年生でナショナルチーム入りを果たす。慶應義塾大学在学中も国際大会で活躍を重ねる。大学卒業後は一般社員としてトヨタ自動車に入社。男子アーチェリー期待の若手として、「団体でも個人でも金メダル」を目標に練習を重ねている。
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